鳴いてくれないホトトギス。
 殺すか、待つか。
 試行錯誤し鳴かせるか。


「あの仏頂面相手とかマジ勘弁」

 アキは、ホトトギスから逃げ出したい。


03.




 二十一時。
 ひよこたちと戯れ、新入りにノックアウトをくらい、精根尽き果てたアキは、かんかんと虚ろな音を響かせながら、階段を上っていた。

 可愛くない新入りが颯爽と去った後、緊急の仕事が入り、今の今まで働いていたのだ。

 疲れていた。
 寝たかった。
 眠って、心安らぐはずだった。


 ―――――――仲間が押しかけて、占拠していなければ。


 鍵を開け、ドアを開けたアキは、一拍後、ドアを閉め、ついでに鍵も閉めた。
 ドアに手をついて、先程視界に入った光景による精神的ダメージをやり過ごそうと、目を強く瞑る。

 その数秒後、だむ!とドアに衝撃が来た。

 女の声がくぐもって聞こえる。

「そこの自警団危機管理班、おとなしく扉を開け投降せよ」
「危機管理班として現状は危険と判断しました。よって開けることはできません」
「………よし、トノ、手伝って。この人、自宅のドアが壊れても構わないようだから」
「待てやこら」

 がちゃり、と鍵を開け、ドアを開ける。


 真っ先に目に入ったのは、フライパンを持った背の高い男と、鍋を振り上げている女の姿だ。
 前者は、昼間に屯所で会ったトノ。
 後者は、久々に見る顔だった。
 メルヘン・ヴィシュテッド。長い赤髪が特徴の、トノと同じく総括班に所属する団員だ。班は違うが、アキの先輩にあたる。
 自警団以外の人間が見れば、とても“先輩”とは思えないだろう。アキは童顔だが、メルヘンの顔立ちは、童顔を通り越して幼い。一見、十四、五才にしか見えなかった。
 特殊な“前世”を持つメルヘンの実年齢は三十四歳。
 年齢詐欺だ、と彼女に会う度、アキは思う。

 そのメルヘンは、構えていた鍋、否、凶器を下ろすと、あっけらかんと笑った。


「平和的交渉に応じてくれてありがとう、アッキー」
「何やってんですかメルさん」
「宅飲みの準備」
「家主は初耳ですが!?」

 自警団の仲間で集まって、団員の誰かの自宅で飲み食いするのは珍しいことではなかった。だがしかし、まさか我が家が標的になっているとは。昨日部屋の掃除をしておいて良かった、とアキは冷や汗を流す。
 アキの叫びに、メルヘンは気にした様子もない。

「そうね、初めて言ったかも」
「アキ君いらっしゃーい」

 メルヘンの後ろから、トノがふんわりと笑って、アキは毒気を抜かれる。綺麗なネイルに彩られた手が持つフライパンは、決してドアを破壊するためではなく、料理をするために正しく用いられていた。
 じゅうじゅうと音をたてるのは、野菜の炒め物。
 美味しそうだ。
 香りが、空っぽの腹を刺激する。

「………わーいお邪魔しまーす」

 いろいろ突っ込むのが面倒になって、アキはそのまま、自宅に上がり込んだ。


 ***


 アキの家は、築四十年は経とうかという、かなりお年を召したアパートの一室だ。
 六畳の部屋には廊下がない。戸口を開ければすぐ部屋で、その中に台所があり、浴室・トイレへと繋がるドアがある。窓が一つだけあって、その窓の側にベッド。あとは本棚と収納棚、拾ってきた卓袱台が一つずつ。椅子はない。
 台所はトノとメルヘンに占領されていて、家主は部屋の中央へと追いやられた。いつ自宅が飲み会の会場と決められたのか、尋ねる暇も無かった。そも、鍵はどうやって開けられたんだ。
 卓袱台の横に、その答えがあった。
 畳に我が物顔で寝転がっている女を見下ろして、アキは溜息をついた。

「スレイさんが開けたんですね?」

 こくり、と女が頷いた。
 年齢詐欺女とネイルアート長身男も十分変だが、それに輪をかけて変なのが、この女――――スレイエランだ。
 全体的に色素の薄い女性で、身体の線が細く、華奢だ。彼女は一切喋らない。鎖骨辺りに小さな電光掲示板が取り付けられていて、それが、彼女が感情や意見を表現する唯一の手段だった。大抵は、蛍光色の言葉が流れるようになっているが、時折、彼女の好みで顔文字が飛び出してくる。
 丸秘班に所属するスレイエランは、鍵開けや暗号解読を得意とする団員だ。自宅の鍵を開けたのは、彼女で間違いないだろう。メルヘンやトノに力技でこじ開けられなかった分マシだが、勝手にドアを開けられ、入られるというのも微妙な心境になる。街の治安を維持する自警団としてはいかがなものか。

 スレイエランの細い目がアキの表情を捉えた。気持ちを読み取ったかのように、彼女の胸元の電光掲示板に、文字が流れる。

【大丈夫です、身内の鍵開けしかしていませんから】
「いやそれもどうなんですか……」

 プライベートも何もあったものじゃない。

 そこに湯気をたてる料理が運ばれてきて、会話は打ち切りとなる。
 もやしに卵の甘酢あんかけ、豆腐と水菜のスープ、揚げ出し豆腐、野菜炒め、ちくわの甘辛煮、大量のパンの耳。
 メルヘンとトノが作る料理は、大抵、安くて美味しい。
 両手を合わせて、いただきます。

 メルヘンがスープを小分けにしながら言う。
「男性陣、料理足りなかったら言ってねー」
「何かあるんですか?」
「豆腐が一丁追加されまーす」
 ついでに、その分食費の徴収金も増えまーす。
 貸し借り、出し入れなど金の管理については、自警団は煩い。
「ご希望とあらば、麺つゆかけて、温めて出してあげる」
「ツナ缶とマヨネーズ持ってくればよかったねえ」
 醤油を一垂らしすれば、きっとそれも美味しいと、トノがパンの耳を齧りながら笑った。スレイエランは、その横で黙々と食べている。電光掲示板に【(*^^*)】と満足げな顔文字が浮かんでいた。
 アキは甘辛く味付けされたちくわを口に運んだ。
 美味かった。



 【目玉焼きに何をかけますか?】というスレイエランの問いかけから始まった議論が、きのこたけのこ戦争を経て、納豆はひき割り派か丸ごと豆派かという派閥争い、そして、きつねとたぬきの大戦争にまで発展した頃、皿の多くは空になっていた。
 “飲み会”らしく飲もうじゃないの、とメルヘンがチューハイの蓋を開けて、各々が家から持ち寄ったコップに、缶の中身を四分の一ずつ注いでいく。
 アキは自分のコップの中を覗きこんだ。グラスなんて無いから、マグカップで代用だ。白い円筒の内側で揺れる液体の量を見て、苦笑いする。
「“飲み会”というか、お食事会ですけどね」
 缶一本を、四人で分ける。これだけでは酔えもしない。
「まあ、いいじゃないの。―――――ところでアッキー、新入り君と会ったんでしょう? 自警団最年少十七歳の! どんな子?」
 メルヘンの何気ない問いかけに、アキは動きを止めた。ごくん、喉が上下して、酒を胃の奥へと流していく。味がわからない。
 どんな子。どんな子って。
 黒髪に緑色の眼で、陰鬱そうだが、顔立ちは中性的だったような。
 で、性格は、
「………永久凍土?」
「……。アキ君、人についてだからね?」
 トノが心配そうに言う。この場合、心配されているのは、アキの頭だ。
「いえ、語弊でも何でもなく、」
 ふてぶてしくて愛想の無い、生意気なガキでした。
 言いかけて、少し考え、アキは口を閉じた。
 ここで、見たままに伝えてよいものだろうか。
 ひょっとしたら、良い奴なのかもしれない。
 とんでもなくシャイでガチガチに緊張した結果、あんなドライな対応になったのかもしれない。
 実はフェミニストで、ヤローにはツンドラだが、女性には紳士的なのかもしれない。
 真面目人間で、自分の砕けた態度が、気に入らなかったのかもしれない。

 第一印象は大事だ。
 でも、それだけを判断材料をしては、いけない。だってまだ、会って一日も経ってない。
 先入観はこわいものだから、それを流布させて、会う前の人間に色眼鏡を渡してはいけない。

「年の割に大人びた印象の人でしたよ。少し、ぶっきらぼうなとこはありますが」
 結局、無難な言葉にまとめた。間違ってはいない、はずだ。少々、好意的な見方を加えただけで。
 スレイエランが静かに微笑んだ。
【会うのが楽しみです。仲良くできたら、嬉しい】
 そうだね、とトノがスレイエランの言葉に頷く。
「メルちゃん、準備はどうしようか?」
「あ、そうね。今年はあたしが宴会係だったわ。――――場所は“王道楽土”で。人は、かき集められるだけ集めましょう」
 アキは目をぱちくりさせる。
「準備、って」
「もちろん、歓迎会の準備に決まってるでしょう? 入団した時、アッキーも参加したじゃない」
 忘れていた。
 アキの顔が引き攣る。……団員が増える度、歓迎会を行うのは自警団の慣習だった。
 昼間の対応が脳裏に蘇った。あの永久凍土少年が――――実際の性格は違うのかもしれないが――――果たして、歓迎されることを喜ぶだろうか?
 最悪の場合、参加を拒否されるかもしれない。「そんな会要りません。頼んでませんし」とか言って。
(………あり得る………)
 アキの表情を見たメルヘンが、首を傾げる。
「どうかした?」
「いえ、その………派手なこと嫌いそうな人だったので………」
【歓迎会って、それほど派手でもないと思うのですが…?】
 自己紹介し合って、歓迎の言葉と抱負の言葉を述べて、ご飯を食べて、それで終わりだ。
 不思議そうな顔をするスレイエランに、まさか独断と偏見による悲観的意見を言うわけにもいかない。
「人が多く集まる場所が苦手そうな子なのかな?」
 トノが尋ねる。アキはしどろもどろになって答えた。
「そんな感じがするような、しないような……?」
「アッキー、はっきりしなさい」
「苦手そうな子です」
「よろしい」
 メルヘンが少し考えた後、ぱちんと手を打った。
「じゃあ、落ち着いた雰囲気のお店に替えて、集める人数も制限しましょう。歓迎会で会わなくても、どうせそのうち仕事で一緒に行動することになるんだし」
 どう? と目で問いかけられる。

 ――――正直、あの後輩がどんな反応をするかは、わからない。
 だが、自警団にも仕来りがあるし、郷に入っては郷に従えという言葉もある。
 相手の意思を優先することが必ずしも良いとは限らないし、トノやメルヘンたちがいるのならば、あの少年の態度も少しは変わるかもしれない。
 アキは頷いた。
 もし拒んだら、引き摺ってでも連れて来よう。

 良かった、とメルヘンが笑う。
「日程や場所が決まったら、後で全体に連絡するわ」
「手伝うことがあったら言ってください」
「アキ君はまず、今回の集まりの皿洗いかな?」
「えっ家主は片付け免除じゃ、」
【何を言ってるんです。トノさんとメルヘンさんが準備したんですから、お片付けは私とアキくんですよ】

 スレイエランがアキの袖を掴む。
 わかってますよ、と口を尖らせると、皆が笑った。


 楽しい夜が、更けていく。